つながり・・・わたしと、父母と、祖父母と・・・
[あなたの親はどんな人?」
昭和10年生まれの父、14年生まれの母。
その長女がわたし。下に妹が二人。年子です。
わたしの父は、6人兄弟。2番目の子ども。で、次男です。
物心ついたとき、父親は戦地へ・・・
兄と二人で下の子の面倒を見た。
勉強はしたくてもできず。
小学校すらほとんど行けていない。
戦地から父親が帰ってくるが、
不在地主の農地は取り上げ?られ、
小作をするしか生きる道はない。
学がないので、肉体労働をして家計の足しに。
真面目に働いたからか、地元の役場に採用され、
ゴミ収集の仕事をする。
そして、わたしが小学校3年の頃か、税務課に・・・
父親にとっては喜んで良いのか悲しむべきか・・・
税務の仕事は数字を扱う。
小学校すら行ってない、満足に出来るはずが無い。
悩んだことだろう。
そんな父に、わたしが分数を教えた。
小学4年生のとき。
どうしても知っておきたかったのだろうと思う。
『子どもに教えを請う。』
どんな気持ちだったろうか?
そんな父親の気持ちなど考える由も無く
ためらいも無く、わたしは分数を教えた。
今、親に成って思う。
子どもに教えを請うことが、どんなに大変なことか・・・
親としての威厳を保つことより、
仕事が出来ない自分のほうが許せなかったのだろうか?
親やから偉い!何でも知ってなければならない・・・。
そんな風に思わずに済んでいるのは父のお陰。
頑固で、真っ直ぐで、四角四面。そして何より責任感の塊。
ユーモアのセンスがもうちょっとあればなぁ・・・と思うこともあるが、
お堅いからって部下に嫌われることは無い。
なぜなら、
部下の自主性を大事にし、上司との喧嘩は自分が引き受けた。
生活は、そんなに豊かではなかったけれど、
月に一回は外食に連れて行ってくれたし、
図鑑や百科事典などの教材は惜しみなく買ってくれた。
教育系の短大に入るため、練習用にピアノを買ってくれた。
30年前、それは父のボーナス一回分。
自分が勉強したくても出来なかった分を賭けてくれたのか?
(妹たちには申し訳なく・・・)
3姉妹のうち、わたしが一番父親似かな?
そんな父は男の子が欲しかった。
が、残念ながら自分の子どもは3人とも女の子。
だから、
わたしが男の子を産んだ時はそれはそれは喜んでくれた。
(恩返しができたかなぁ?)
またもやボーナス1回分の武者人形を買って祝ってくれた。
子どもが大きくなって、
その人形を出すことも無くなってしまったけれど、
いつか、わたしの夢が実現したら、きっと飾ろうと思う。
そうそう、
父と母の馴れ初めは小学校の頃から聞いていた。
父の叔父の万屋に、母が仕事に来ていたという。
父が『結婚させて欲しい』と祖父母に頼みに行った。
祖母が、父の父親=祖父と意気投合。
親同士の気持ちが合い、目出度く祝福されて結婚。
母は4人姉弟の次女。
母登場!!
母はずっと内職をしていた。黙々とミシンを踏む。
近所のおばさんたちが、入れ替わり立ち代りやってくる。
愚痴をこぼしにやってくる。
我が家はご近所のおばさんたちの『よろず相談所』
母はカウンセラー。
勉強なんかもちろんしていない・・・けれど、
母に聞いてもらうと皆元気になって?帰って行く。
わたしはそんな様子を小学生の頃から見て育った・・・
父も、母も祖父母も・・・
自分のことよりも、人様のことを考えて生きる人。
そんな姿を目の当たりにして育ってきた
わたしもやっぱり『そんな人』
今のわたしがあるのは、
確実に父母や祖父母の影響だと思う。
わたしの基盤。
わたしがわたしを愛せること。
それは
わたしの父母、
そして祖父母の人柄と人生を肯定できるから・・・
今、わたしがここに存在していること。
それ自体、感謝。
父母に、祖父母に、ご先祖様に!!
わたしができること。
それは、今を、これからをちゃんと生きること。
胸を張って見せられる生き方をすること。
それだけ、それだけ・・・
昭和10年生まれの父、14年生まれの母。
その長女がわたし。下に妹が二人。年子です。
わたしの父は、6人兄弟。2番目の子ども。で、次男です。
物心ついたとき、父親は戦地へ・・・
兄と二人で下の子の面倒を見た。
勉強はしたくてもできず。
小学校すらほとんど行けていない。
戦地から父親が帰ってくるが、
不在地主の農地は取り上げ?られ、
小作をするしか生きる道はない。
学がないので、肉体労働をして家計の足しに。
真面目に働いたからか、地元の役場に採用され、
ゴミ収集の仕事をする。
そして、わたしが小学校3年の頃か、税務課に・・・
父親にとっては喜んで良いのか悲しむべきか・・・
税務の仕事は数字を扱う。
小学校すら行ってない、満足に出来るはずが無い。
悩んだことだろう。
そんな父に、わたしが分数を教えた。
小学4年生のとき。
どうしても知っておきたかったのだろうと思う。
『子どもに教えを請う。』
どんな気持ちだったろうか?
そんな父親の気持ちなど考える由も無く
ためらいも無く、わたしは分数を教えた。
今、親に成って思う。
子どもに教えを請うことが、どんなに大変なことか・・・
親としての威厳を保つことより、
仕事が出来ない自分のほうが許せなかったのだろうか?
親やから偉い!何でも知ってなければならない・・・。
そんな風に思わずに済んでいるのは父のお陰。
頑固で、真っ直ぐで、四角四面。そして何より責任感の塊。
ユーモアのセンスがもうちょっとあればなぁ・・・と思うこともあるが、
お堅いからって部下に嫌われることは無い。
なぜなら、
部下の自主性を大事にし、上司との喧嘩は自分が引き受けた。
生活は、そんなに豊かではなかったけれど、
月に一回は外食に連れて行ってくれたし、
図鑑や百科事典などの教材は惜しみなく買ってくれた。
教育系の短大に入るため、練習用にピアノを買ってくれた。
30年前、それは父のボーナス一回分。
自分が勉強したくても出来なかった分を賭けてくれたのか?
(妹たちには申し訳なく・・・)
3姉妹のうち、わたしが一番父親似かな?
そんな父は男の子が欲しかった。
が、残念ながら自分の子どもは3人とも女の子。
だから、
わたしが男の子を産んだ時はそれはそれは喜んでくれた。
(恩返しができたかなぁ?)
またもやボーナス1回分の武者人形を買って祝ってくれた。
子どもが大きくなって、
その人形を出すことも無くなってしまったけれど、
いつか、わたしの夢が実現したら、きっと飾ろうと思う。
そうそう、
父と母の馴れ初めは小学校の頃から聞いていた。
父の叔父の万屋に、母が仕事に来ていたという。
父が『結婚させて欲しい』と祖父母に頼みに行った。
祖母が、父の父親=祖父と意気投合。
親同士の気持ちが合い、目出度く祝福されて結婚。
母は4人姉弟の次女。
母登場!!
母はずっと内職をしていた。黙々とミシンを踏む。
近所のおばさんたちが、入れ替わり立ち代りやってくる。
愚痴をこぼしにやってくる。
我が家はご近所のおばさんたちの『よろず相談所』
母はカウンセラー。
勉強なんかもちろんしていない・・・けれど、
母に聞いてもらうと皆元気になって?帰って行く。
わたしはそんな様子を小学生の頃から見て育った・・・
父も、母も祖父母も・・・
自分のことよりも、人様のことを考えて生きる人。
そんな姿を目の当たりにして育ってきた
わたしもやっぱり『そんな人』
今のわたしがあるのは、
確実に父母や祖父母の影響だと思う。
わたしの基盤。
わたしがわたしを愛せること。
それは
わたしの父母、
そして祖父母の人柄と人生を肯定できるから・・・
今、わたしがここに存在していること。
それ自体、感謝。
父母に、祖父母に、ご先祖様に!!
わたしができること。
それは、今を、これからをちゃんと生きること。
胸を張って見せられる生き方をすること。
それだけ、それだけ・・・
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